谷中安規は、木版の素朴な持ち味をいかした自刻自摺による創作版画(浮世絵のような分業ではなく、図案や彫り・摺りなどほとんどの工程を自分で行う)を制作しました。
内田百閧竝イ藤春夫等の本の表紙や挿画で知られています。白黒の簡潔な画面構成で、幻想的な物語世界を描きました。
その独特な浮遊感のある作品世界と飄々とした谷中の風貌から、内田百間より『風船画伯』と親しみをこめて呼ばれていました。また、自らを「ヤナカの墓のアンキです」ととぼけた紹介をしていたというエピソードがあります。
略歴
谷中安規(たになかやすのり 1897-1946)
1897(明治30)年1月18日、奈良県桜井市に生まれる。幼少期に母と死別。少年時代を朝鮮で過ごし、東京小石川の仏教系(真言宗豊山派付属)豊山中学に入学、文学に傾倒する。中学を4年で中退後、寺の小僧や梅原龍三郎の玄関番など転々としながら、永瀬義郎の『版画をつくる人へ』に影響を受け、版画家を志す。
1932(昭和7)年、料治熊太をたずね、彼の発行する雑誌『白と黒』No.22からと『版芸術』No.2から作品の掲載をはじめ、以後終刊するまでつづく。
1934(昭和9)年、内田百間『冥途』『王様の背中』、佐藤春夫『FOU』など、本の装丁を多く手がける。
1946(昭和21)年9月9日、死去。
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