アンキさん*1の作品に、蓄音機の傍らで直立して歌っている『自画像』(多色木版 1932年)があります。
両手をお腹に、口を縦に大きく開けて朗々と・・・、といった様子ですが
さて、どんな歌をうたっているのでしょうか・・・。
絵葉書を額装してみました。オリジナルは展示中ですよ。
ところで
様々な書物からアンキさんの人となりを知るにつけ、思い出される歌があります。
お寺のおしょうさんが
かぼちゃの種を まきました
芽がでて ふくらんで
花が咲いたら
ジャンケンポンッ
という遊び歌です。
(二人一組で向かいあって、お互いの手を打ち鳴らしながら歌います。「芽がでて」以降は両手を祈るようにあわせ、種から花へと変化する振り付けがあり、最後にジャンケンの勝負!という遊びです。歌詞は地方によって時代によって、かぼちゃは花を咲かせた後、枯れたり実をつけたり転がったり・・・といういろんなバージョンもあるようですが、上の五行がだいたい基本となります)
アンキさんの生家はお寺と縁が深く、彼は仏教系の中学校へ通っていました。
また、手作りの掘っ立て小屋で暮らした最晩年には、飢えをしのごうとかぼちゃの種をまいて育てていました。
八坂喜代さん*2 のお話によると、アンキさんは毎日毎日かぼちゃ畑に座り小さく結んだ実をニコニコと嬉しそうに数えては、かぼちゃの実が熟れる9月を心待ちにしていたのだそうです。「これからは草ばかり食べずにすみます。もう大丈夫です。」 しかし、そのかぼちゃを口にすることなく、1946年9月9日、栄養失調のために衰弱死しました。(太宰治の「桜桃忌」のように、アンキさんの命日の9月9日は「かぼちゃ忌」と呼ばれたりもしているとか・・・)。
かぼちゃの花
いま、小淵沢周辺の畑では、かぼちゃの黄色い花が咲いているのを見かけます。
ちょうど実が熟れる頃、アンキさんの作品に囲まれながら、酒井俊さんがさまざまな歌をうたってくださいます(9/27 LIVE! 酒井俊)。こちらもお楽しみに!
*1 アンキさんとは、谷中安規(たになかやすのり 1897-1946) のことです。勝手ながら親しみを込めて呼ばせていただいております。
*2 八坂(旧姓 佐瀬)喜 代さんは、アンキさんの最期を看取った方です。このときの様子は、先月発売された『谷中安規の事』( 八坂喜代・著 限定1,000部発行 たけしま出版 )に詳しく書かれています。八坂さんには、フィリア美術館のイベント『ギャラリートーク 谷中安規をめぐって』でも、たくさんの貴重なお話を聞かせていただきました。